ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第54回 〝聖戦の黒幕〟

 リーダーの男はウマロフといった。配下の男たちは、「ドック」と呼んでいた。もみあげまでつながった濃いひげをはやし、漆(うるし)のように黒く鋭い目つきだった。お椀型の白いフェルト帽をかぶっていた。

 倒木の丸太に腰かけて尋問をはじめた。
 「おまえは日本人だな。なぜ捕まったか、わかっているか?」
 「さあ……」
 「ジャブライロフを知っているな。やつからなにか大事なことを頼まれなかったか?」
 わたしは、はっとした。モスクワのジャブライロフとの賭けに負けて、「ミカドを探しだしたら知らせる」と約束させられていたのだった。グロズヌイのロシア軍基地で身柄を拘束されたときに、携帯電話のSIM(シム)カードを抜かれたから、ジャブライロフがいくら電話しても通じなかったはずだ。
 いまはもうどうでもよいことだったから、投げやりにいった。
 「ええ、まあ……」
 「ひどく怒っていてな、おまえを捕らえて殺せといっている」

 セリョージャがドックに聞いた。
 「でも、どうして居場所がわかったんだ?」
 「ジャブライロフがニュースで見たんだ。学校の救護所におまえら一緒にいただろう。テレビに映っていたそうだ。そのあとは簡単だ。あの村のホテルは数軒しかない。若いアジア人の男を見なかったか調べてまわったのさ」
 「そうだったのか」
 わたしを殺すと脅しておきながら、ドックは冷静だった。
 「ジャブライロフとなにがあったのか知らないが、やつはミカドを探している。ジャブライロフは汚れた男だ。たぶん、モスクワの劇場占拠のときにFSBと取引したんだろう。ミカドを引き渡すかわりに、うまい汁を吸うつもりだ。ところが、おまえと連絡がとれないままつぎの事件が起きた。ミカドが関係したと報道され、ニュースでおまえの姿も見てしまった……」
 セリョージャがいった。
 「それで捕らえろと、君らに指示したのか?」
 「そういうことだ」
 なぜわたしがモスクワから忽然(こつぜん)と姿を消したか、ようやくセリョージャも合点(がてん)がいった様子だった。

 「君らは、なにものなんだ?」
 ドックとその仲間たちは、顔を見あわせてニヤついている。
 「おれたちはチェチェンのムジャヒディン(聖戦士)だ。民族の独立のために戦っているのは知っているだろう」
 「誘拐(ゆうかい)もやるのか?」
 いきなり腰のナイフを抜いて、セリョージャの足もとの地面に突き刺した。ドックの表情が一変していた。
 「おまえはロシア人だな。おれたちが殺すとしたら、まずは敵からだ。こいつよりさきに、おまえからだ!」

 ドックはきびすを返して、司令室と呼ばれるテントのほうへ去った。
 ところが、いっこうにわたしたちが処刑される気配は感じられなかった。はじめはテントの前に見張りがいたが、それも数日の間だった。わたしはキャンプ地を自由に歩いていたし、食事もきちんと与えられた。もっとも尾根の高台に監視所があって、逃げればすぐにも銃撃できる態勢だったのだが。
 だんだん拉致(らち)グループのことがわかってきた。そのキャンプでは30人ほどが共同生活をしていた。農村青年ふうの若者が多かったから、しだいに気を許して言葉をかわすようになった。かれらはジャマート派だった。ここに潜んでゲリラ戦をしているが、戦闘のないときには銃の訓練やクルアーンを学んでいた。

 あるとき、ドックがわたしに語りかけてきた。
 「おまえもミカドという名前のようだな。ここに書いてある」
 わたしの赤いパスポートをぽんと投げてよこした。そして、「ミカドを探している訳を説明してくれないか」といわれた。
 祖父の手記を読んだのがきっかけで、これまで長い旅をしてチェチェンにたどり着き、ようやくミカドに会えたことを話した。あの夜ともに舞ってからというもの、シャミール・ミカドのことは義兄弟のように感じていた。
 ドックは黙って聞いていた。それから、ある告白をした。
 「あの学校で起こしたジハード(聖戦)は、おれが計画したんだ」
 「なんだって?」
 「はじめは、ここのジャマートだけで決行するつもりだったんだが……。情報がもれて、あちこちから人が集まってきた。なかには、ジャブライロフのような怪しげなやつがスパイを送りこもうというのもあった。だが、アミールだけは違っていた」
 「アミール……」
 「おまえも知っているだろう。アミールは、肉親を失う苦しみをロシア人にもわからせなければ、戦争は終わらないと考えた。それで、腹心の部下のミカドをよこした。ミカドは、はじめは断ったそうだ。モスクワの劇場のようなことになれば、ただの脅しだけではすまなくなるからってな」
 「でも、ミカドは手を貸してしまった」
 「こんどこそ、うまくやろうと思ったんじゃないか。決行の前に、ミカドは不思議なことをいっていたよ。『おれは剣(つるぎ)で人間を斬らずに敵を斬るんだ』と。さっぱり訳がわからなかった」
 「……」
 思わず天を仰いでいた。わたしがいったことを、ミカドはテロで実践しようとしたのか……。ありえない、と思った。

 「ミカドは死んだのか?」
 「いいや、たぶん生き残っただろう。殺されたメンバーの遺体の写真がすべて公開されたが、そのなかにミカドはいない」
 わたしは、むなしい脱力感に襲われていた。ミカドが生き延びているかもしれないことに安心はしても、喜べなかった。
 「君は、あのジャブライロフ兄弟にミカドを渡すつもりか」
 「まさか。おれはアミールに心酔(しんすい)している。もしおれがミカドを売るようなことがあれば、おれはアミールに殺される」
 「なら、少し安心したよ……」
 「おまえは変わっているな。自分のことは心配しないのか?」

 チェチェンで自分自身の三番叟(さんばそう)が舞えるようになって、わたしは生きることへの執着がうすれたようだ。あるいは先生の死を知って、迷いや後悔がふっきれたのかもしれない。人は死んでも生きると、そう思えるようになった。
 「セリョージャは助けてもらえるか?」
 ドックはしばらく黙りこくった。なにを考えているのか、わかるような気がした。ジャマートを運営するには資金がいる。ジャブライロフとも裏でつながるとすれば、汚い金にも手を染めているのだろう。ロシア人やわたしのような外国人なら、高く売り飛ばしたところで良心のとがめはない。
 「さあ、どうかな。ロシア人を生かしておけば、いずれFSBがここをつきとめるかもしれない。殺せと、若いやつらがいってるんでね」
 ドックは、セリョージャの所持品のうち、高価なカメラやパソコンを取りあげていた。ジャーナリストというのはすでにわかっている。ただ、セリョージャがアンナの同僚ということは知らなかった。(つづく)

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura