ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第53回 〝エルブルス〟

【これまでのあらすじ】 主人公の若者は、かつて祖父が命を救ったというチェチェン人を探す旅にでる。手掛かりは〝ミカド〟という名前だけ。中央アジアからロシア、チェチェンへの旅先で、ジャーナリスト、マフィア、スパイ……とさまざまな出会いを重ね、戦争とテロの現場へ導かれる。そこで〝人間の愚〟に翻弄される人々の苦しみを知る。ようやく姿を現した〝ミカド〟は、戦争に身を投じた同じ年の若者だった。出会いもつかの間、ミカドは最後のテロ攻撃に加わるが……

 セリョージャがわたしに尋ねた。
 「君はなぜ、ここにいるんだ?」
 「ミカドを探している。今朝のラジオで、『シャミール・ミカドがテロリストグループにいる』と放送していたから」
 「確かめにきたのか。チェチェンから?」
 「ああ、詳しい話はあとだ。それより、ミカドのことをなにか聞いていないか?」

 セリョージャがくしゃくしゃに丸めた新聞紙を見せた。テロリストの名前を公表したのはロシアの政府系新聞だった。顔写真つきで報道していた。そのなかに、確かにミカドの写真もあった。
 「これは、FSBの情報操作じゃないか。手ぎわがよすぎる。まるで事前に用意していたみたいだ」
 ノルベックが聞いた。
 「それじゃあ、FSBの自作自演ということなのか?」
 わたしは思わず力をこめていった。
 「ミカドは政府のためにテロなど起こす男じゃないぞ」
 「おそらく、テロリストに偽装した工作員が潜入しているんだ。そいつがテロ計画を持ちこんで、まんまと実行させたと考えられるだろうな」
 「テロリストの要求はなんだって?」
 「劇場のときと同じだよ。チェチェンからの撤退さ」
 「それだけ?」
 「たったそれだけだよ」
 「だが、それが一番難しい……」

◇◇

 その小さな村のすべてが喪に服していた。村の6歳から18歳までの青少年のほぼ半数を亡くしたのだ。全員が喪服を着て、家々には縁者の死を悼む黒い喪章(もしょう)が掲げられていた。

 そこではホテルも限られていたから、セリョージャが泊まっているモーテル風のコテージに同宿することにした。セリョージャの取材が終わったのは夜も更けてからだった。わたしとノルベックの3人連れで、コテージの部屋に戻ってようやく腰を落ち着けた。
 モスクワの病院で治療を受けているマリアが心配だった。
 「マリアは?」
 「集中治療室に入っているそうだ。編集長に電話で聞いたんだが、だれも病院に近づけない。警察に監視されている」
 ノルベックがいった。
 「生かすも殺すも、権力の判断しだいか……」

 よくわからないのは、体育館の爆発のことだ。あれは、はたしてテロリストが起爆させたのかどうか、セリョージャに尋ねた。
 「取材してみたがはっきりしない。人質の証言からわかったのは、あの体育館のバスケットボールのゴールポストにワイヤが渡されて、そこに爆発物がぶらさがっていたということだ。起爆装置はテロリストの男が握っていたが、起爆させたかどうか確かめようがない。もう死んでいるから。テロリストは、ロシア軍が攻撃してくれば爆破すると警告していたそうだ。だが、ロシアの銃撃で爆薬に弾があたったのかもしれない」
 「テロリストはどうなった? なにか情報はあるの」
 「テロリストは32人、うち2人は逮捕された」
 「残りは?」
 「当局によれば、残りはすべて殺害したそうだ」

 ノルベックがうさん臭そうな表情を浮かべた。
 「体育館の爆破のあと、テロリストらしき連中が逃げだしてきたぞ。そのうち数人が村人に捕らえられて、その場で処刑されていた」
 「うん、その様子は見たよ。逃げきった者もいるだろう」
 ミカドの消息はまったくつかめなかった。ロシアに逮捕されるか、逃げのびていれば、まだ生きていることになる。

 その夜は疲れはてて、3人ともすぐに深い睡眠に落ちた。
 数時間も眠っただろうか。夜が白みはじめるころにコテージのドアを激しく叩く音が響いた。寝ぼけまなこで上半身を起こすと、木製の扉がうち割られて数人が乱入してきた。黒い覆面をして目と口だけをだしている。鉄の冷たさにはっとして目が覚めた。頭に銃身が突きつけられていた。
 覆面の男は、わたしたちのパスポートを取りあげてひとりずつ調べていった。ノルベックの顔をじろりと見てパスポートを返した。
 「カザフスタン人だな。おまえはいい。あとのふたりは外へでろ!」

 わたしとセリョージャが引きずりだされた。目隠しをきつく巻きつけられ、表に停めてあったトラックに連れこまれた。車は急発進して、がたがた揺れる道を猛スピードで駆け抜けていった。
 わたしはもう、このあたりの地理はすっかり頭に入っている。どうやら山道を登っているから、グルジア側のカフカス山中へ入っているとみた。ここには、山脈を切り開いて造られた軍用道路が通じている。車はしばらくして左へ折れ、急な峠道をたどってゆく。ということは、おそらくチェチェンのある東へ向かうのだろう。

 目隠しをされていても、夜が明けたことはわかった。渓谷の道で車は停まった。わたしたちは車からおろされ、目隠しを外された。驚いたことに、目の前には絶景が広がっていた。カフカス山脈のパノラマを一望し、遠くにひときわ高い白銀の双峰(そうほう)がそびえている。眼下にはエメラルド色の湖が輝いていた。
 セリョージャが小さな声でいった。
 「パンキシ渓谷(けいこく)だ」

 そこはチェチェンの南西にある山深い一帯で、グルジアとも往来できた。ロシア軍に追われた武装勢力が逃げこむのに格好の場所だった。ベデノ村からもさほど遠くない。セリョージャはここに取材にきたことがあった。
 わたしたちを拉致した男らも、目出し帽を脱いでいる。チェチェン人に見える。意外なほど開けっぴろげに話した。
 「あの山がエルブルスだ。どうだ、みごとだろう」
 エルブルスは5600メートルの高さで、ヨーロッパとアジアの境界をなすカフカス山脈の主峰であった。
 縛りあげられることもなく、ごつごつした岩のがれ場の道を登らされた。1時間も歩いただろう、尾根の中腹あたりにキャンプ地があった。緑の帆布(はんぷ)の軍用テントがまばらな樹林に隠れて点々と設営されている。そのひとつが、わたしたちにあてがわれた。
(つづく)

エルブルスの朝焼け
エルブルス山の朝焼けmzabarovsky / PIXTA

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura