ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第52回 〝学校が戦場に〟

 ミカドの兄は実直な男だった。検問が厳しいグロズヌイ周辺を避けて、脇道からウラジカフカスへ向かった。4、5時間かかる距離になるが、いつも羊毛を運んで往復しているから裏道までよく知っていた。
 テロが起きている北オセチアに入って、ようやくミカドの兄が口を開いた。
 「ラジオが本当なら、シャミールは生きて帰らないかもしれない。ほんとうに、ばかなやつだ……」
 感情がこみあげていた。ミカドの兄は、息子のマゴメドを殺されているのだ。だが、ミカドが甥っ子の仇(かたき)を討つつもりでも、どうして関係のない子どもたちを巻きぞえにしなければならないのか……。弟を説得して連れ戻すことはもはやかなわない、すべてが手遅れだと思っているようであった。

 その村は、山にぐるりと囲まれた盆地にあった。南にそびえるカフカス山脈はチェチェンにまして峻険(しゅんけん)だった。その山脈の向こう側には、ロシアに敵対するグルジアという国がある。
 テロの現場はすぐにわかった。村の学校はたったひとつで、集落のまんなかにあった。広いグラウンドと隣りあわせに煉瓦(れんが)造りの古い体育館がある。そこに1200人もの人質が監禁されていた。学校のまわりには、ほとんどすべての村人が集まっている。

 ちょうど昼どきだった。タン、タン……。最初の銃声がまるで合図であるかのように、いきなり銃撃戦がはじまった。

 戦闘服に身を固めたFSBの特殊部隊が突撃してゆく。後方支援のロシア内務省軍がロケット弾を発射している。校庭をほふく前進する特殊部隊にめがけて、校舎の屋上から手榴弾(しゅりゅうだん)が放られた。ドーンと土煙があがって大きな穴が開く。何人かが伏せている。
 わたしたちは必死に校庭を走って、コンクリート製のトンネル遊具のなかに飛びこんだ。いきなり、重い鉄を引きずるような地響きがして地面が揺れた。キャタピラの音だ。ロシアの戦車が3台、グラウンドに入ったのだ。主砲は校舎の屋上を狙っている。

 わたしは耳をふさいで、「戦争でもはじめる気か!」と叫んだ。
 その瞬間、衝撃で体が痺(しび)れた。爆風にあおられて砂が舞った。砲撃の反動で戦車がガツンと後退し、校舎から黒煙が立っている。
 「これが、戦争なんだよ」と、ノルベックが大声でいった。
 それでもわたしは、ミカドがいないかと校舎に目を凝(こ)らしていた。

 怖ろしいことが起きたのは、それからだった。おそらく、わたしがこのさきも経験することのないであろうほどの悲劇だった。
 体育館の鋼板の屋根が、わずかに宙に浮いた。その隙間から、霧のように煙が沸いた。すべての窓ガラスがふき飛ばされ、屋根がゆっくり崩落していった。煉瓦の壁に大きな穴が開いた…
 わたしの両耳から音が消えていた。何人かの子どもたちがグラウンドへ駆けだした。すっ裸の男の子が、両腕をあげて泣き叫んで走ってきた。ノルベックが飛びだした。猟銃を持った村人が、校舎にむけて乱射をはじめた。斧(おの)を片手に体育館に突っこむ男もいる。
 ノルベックは、裸の男の子を抱えて逃げまどっている。わたしはうずくまっていた。頭をかかえて、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所を想った。連合軍に解放されたときに撮影された裸の少年少女たちのあの写真を……。

 いま目の前で、数百人もの子どもの命が失われてゆくのだった。
 村人が学校に殺到して、わが子を懸命に探していた。つぎつぎに運びだされてくる担架の遺体に親たちが群がった。
 ぴくりとも動かない孫を抱きしめた老婆が、「どうか神様、生き返らせてください!」と、泣き叫んでいる。
 校庭の片隅に追いつめられたテロリストの首を、村の男たちが斧で切り落としている。そして、怒号と喝采(かっさい)があがった。
 もうこれ以上は、見ていられなくなった。

 わたしはふらふら立ちあがってノルベックを探し歩いた。仮設の救護所まできて、ようやく見つけた。
 そのあたりに、ジャーナリストがたくさん集まっていた。ロシアのテレビ局のカメラが、治療を受けている子どもたちや、破壊された学校の様子を舐(な)めるように撮影していた。

 「おい、君!」
 大きな声が聞こえた。わたしの聴力はなんとか戻ったようだ。はっとして見ると、カメラを構えたロシア人の大柄な男がいる。セリョージャであった。
 わたしは思わず、安堵(あんど)の吐息をついていた。
 「取材にきたんですね……」
 「ああ。それより君は無事だったのか。なにもいわずにモスクワから消えるから、ずいぶん心配していたんだよ」
 ノルベックもセリョージャに気づいた。ふたりはマリアを介しての友人だった。チェチェン戦争の取材に同行したこともある仲だ。
 「セリョージャ! 久しぶりだな」
 「よお。君までここに? どうなっているんだい」

 大きなテロを眼前にして、みんなが沈鬱(ちんうつ)な面持ちだった。セリョージャはそれにも増して悶々(もんもん)として見える。
 わたしは聞いた。
 「マリアもきているの?」
 「それが……。途中まで一緒だったんだが、すぐにモスクワに連れ戻されてね」
 「連れ戻された?」
 「飛行機のなかで倒れて……。機内で配られた紅茶のせいだ。マリアのだけに毒が入っていたんだ。おれも紅茶を飲んだけど、なんともないから」
 「それで、マリアの容態(ようだい)は?」
 「うん……。重体だ」
 「まさか」
 「そのまさかだよ。やつらのしわざに違いない」

 ノルベックが苦りきった様子で、地面に唾(つば)を吐いた。
 「FSB(フェーエスベー)か。毒を盛るやり口は、KGB(カーゲーベー)ゆずりのお家芸だな」
 「キャビンクルーに扮した工作員にやられたか。マリアに取材されては困ることがあるんだろう。最近、だれかに脅迫されている様子だったから」(つづく)

学校テロ事件現場
ベスラン学校テロ事件 2004年9月1日、ロシア南部・北オセチア共和国の小さな町ベスランで、ひとつだけある学校がチェチェン武装勢力に占拠された。入学進級式が行われている校庭に乱入し、小中学生と教員、父母や祖父母など1200人を人質に取った。武装勢力は「ロシア軍のチェチェン撤退」を要求したが、銃撃戦をきっかけに人質のいる体育館が爆破され(写真=2004/9©I.Yokomura)400人近い子どもたちが死亡した。

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura