ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第48回 〝祝宴のとき〟

 わたしとノルベックは、アマンのところにしばらくやっかいになった。
 ノルベックの父方がチェチェン人だったから、アマン一家とはすっかりうち解けていた。アマンはあれこれと世話を焼いてくれた。孫のマゴメドを亡くした悲しみを紛(まぎ)らわそうとしているかのようだった。

 わたしは、それまでノルベックのことをあまり知らなかった。というより、ノルベックがわたしのプライベートを聞かなかったから、ノルベック自身のことも詮索(せんさく)しないでほしいのかと思っていた。
 アマンは、ノルベックとは母親ほどの年齢差がある。親や祖父母世代の共通の苦労を知っているだけに、気持ちが通じるのであろう。ノルベックも、自分の家族のことを少しずつ話すようになった。
 スターリンの強制移住によってノルベックの祖父母はカザフスタンへ移った。祖父はそこで徴兵され、ナチス・ドイツと戦うためにスターリングラードに送りこまれたそうだ。双方で200万人が死亡した最大の戦闘だった。ノルベックの祖父もここで還らぬ人となった。残された祖母が息子を育て、やがて息子はカザフスタンの女性と結ばれてノルベックが生まれたのだった。
 ノルベックの父は、国立の民族楽団の奏者だった。シルクロードの結びつきであろうが、薩摩琵琶(さつまびわ)にそっくりなドンブラという弦楽器の名手で知られたそうだ。ドンブラはわずか二弦で、草原を疾走(しっそう)するかの躍動感(やくどうかん)を表現できる。カザフスタン人の母は、その楽団の民族詩の歌い手であった。

 あるとき、アマンがチェチェンの伝統音楽で使うドゥールという打楽器を持ちだしてきた。能の大鼓(おおつづみ)ほどの大きさで、片面に馬の皮が張ってある。その音色はむしろ小鼓(こつづみ)に似て、トントンと切れのよいリズミカルな響きだった。アマンの従兄弟の老人がアコーディオンを弾き、嫁のザーラが舞った。はじめはみんなの手拍子でリズムをとっていたのが、ノルベックがドゥールを叩いて演奏に加わると、ザーラの舞いがいっそう華やかになった。

 みんながノルベックの腕前に感心した。
 「あなた、チェチェンの血統は消えないものね」
 ノルベックは、ありえないという顔だ。
 「血を消すって? 親父が家でいつも演奏していたんだ。チェチェンを決して忘れないためにさ」
 「そうだったの……」
 アマンは、ふっともの想う表情になった。チェチェン戦争で亡くした夫のアフマド・ミカドが、このドゥールの名手だった。アフマドの太鼓は勇壮で音がよく通った。いまは父の名前を継いでミカドを名乗っている息子のシャミールは、この響きが大好きだった。父の太鼓のリズムにのって、レズギンカという武人の舞いを演じるのが上手だった。

 戦争中ではあったが、村には幸せな時間が流れるときもある。
 18歳になるアマンの姪っ子が、同じベデノ村の男性に嫁ぐことになったのだ。渓谷に孤立するベデノでは、むかしながらの結婚式の風習があった。
 4000メートル級のカフカス北嶺がすっかり雪化粧した秋の日だった。アマンの家の建つ見晴らしのよい草原の丘で、盛大な披露宴が開かれることになった。結婚式は村をあげての祝宴である。数日かけてつづく行事の最後を飾るのが、花嫁を囲んで村人こぞって舞い踊る宴(うたげ)だった。

 わたしはもう、逃げも隠れもしなかった。
 ジャブライロフの手引きでこちらへきてからというもの、逃避行の日々だった。いきなりロシア軍の攻撃にさらされ命からがら逃げまわったあげく、拉致(らち)されて監獄にも入った。まるで歌舞伎の道行(みちゆ)きか、ロードムービーのようでもある。いくつもの危険をかいくぐって腹がすわった。

 朝もやが峰々を覆っている時刻に、着飾った村人たちがアマンの家の丘をめざして坂道を登ってきた。宇宙までのぞけるようなラピスラズリの空が白みがかると、雲を破って昇るオレンジ色の陽光が白銀を輝かせた。
 先頭を歩くのは、新しく村の長老に選ばれた男性だ。あのロシア軍の掃討(そうとう)作戦で命を落とした長老の高齢の妻がそのうしろにつづく。黒地に霜ふりの刺し子をほどこした民族衣装を身にまとっている。
 祝いの品々を捧げ持つ女性たちは、真紅(しんく)や萠黃(もえぎ)のシルクのヒジャブで頭を覆って、にぎやかに歌いながら歩いてくる。

 花嫁のアマンの姪は、家のなかにいて村人の到着を待っていた。わたしは鮮やかな色彩の花嫁衣装に目を奪われた。足もとまで届く華やかなローブは、濃い緑と白と赤の三色糸で編まれている。ヒジャブはサフラン染めの特別なもので黄金の頭飾りが添えられ、胸もとをトルコ石のネックレスが飾っていた。
 緑と白と赤こそは、チェチェンを象徴する色である。血塗られた大地が浄(きよ)められ、やがて緑の楽園に変わるという信仰告白であった。

 わたしたちは、草原の丘に立って村人を迎えた。そこから見おろす景色といえば、空爆によって崩れ落ちたモスクとその裏手に広がる無数の墓標だ。山に向かって目をあげれば、無限の宇宙と大いなる自然が人間を祝福していた。
 草原のまんなかには、紀元前の巨石遺跡が残っていた。カフカス・ドルメンという石舞台に似た石室があり、そのまわりにストーンサークルの名残が点在している。小人(こびと)の家と呼ばれていた。この広場に花嫁とその母親の席をしつらえ、村人たちはベンチがわりに遺跡の石に座っていた。

 長老がおごそかに祝宴のはじまりを告げた。
 灰色の毛皮の帽子をかぶって白いフェルトのコートを着た男性が、草原の広場に躍(おど)りでた。腰に太い革ベルトを巻き、三日月型の銀の剣をさげている。磨き立てた黒いブーツで小刻みにステップを踏みはじめた。
 アコーディオンがメロディーを奏でて、バラライカが単調なコードを響かせる。ノルベックが叩くドゥールに導かれて、男性は手拍子をうちながら両腕をおおらかに広げて天を仰いだ。大空を舞う鷲(わし)のようにまわりながら舞った。
 花嫁を迎える花婿の儀式だった。花婿は恍惚(こうこつ)の表情を浮かべて、いにしえのチェチェンの武人の化身(けしん)となっていった。
 母にうながされた花嫁が静かに立って、花婿と対になった。肩にかけたうすいショールの端を両手の指さきで操り、天女(てんにょ)のたおやかなしぐさを見せる。ローブの裾(すそ)を優雅に広げて回転すると、腰までとどく黒髪が風にたなびいた。

 村人たちは思いおもいに歌って踊りの輪に入っていった。
 わたしは、アマンがハンカチで涙をそっとおさえるのを見た。アマンはきっと、遠いむかしの宴(うたげ)を想っているのだろう。凜々(りり)しい男だったアフマド・ミカドが、花嫁の自分を迎えにきてくれたあの日のことを……。

 わたしにも幻が見えるようだった。
 廃墟の村の墓地に眠って、復活のときを待つ人々だ。草原での踊りの陶酔(とうすい)のなかに、わたしをかばってくれた白ひげの長老がいる。にこやかな笑みを浮かべて、しわだらけの手をゆったり動かして舞っている。わたしをここまで連れてきて、ヘリコプターの機銃掃射に倒れた若者もいる。残忍に撃ち殺されたアマンの孫のマゴメドが、無邪気なステップで踊っている……。
 チェチェンの祝宴は、死者が生者の幸いを願う祈りの場だった。死者の再臨(さいりん)と生者の来迎(らいごう)のときをさきどりして言祝(ことほ)ぐ、霊的な儀式でもあった。

 わたしは胸をうたれ、はっと気づかされた。鎌倉の白旗神社で父がわたしに三番叟(さんばそう)を舞わせた訳が、いまようやく理解できた。あのときにわからなかった真実が見えた気がしていた。
 「おまえは、なにかに怒るように舞っている」と、父はわたしに忠告したのだった。チェチェンの祝宴では、生者と死者が混然となってこの喜びを逃すまいと舞い踊っている。不幸を呪(のろ)って運命に挑(いど)みかかるものなど、ここにはだれもいなかった。
(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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