マリアの危ない取材 『剣ノ舞』(42)
ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第42回 〝マリアの危ない取材〟
ここでふたたび、ジャーナリストのマリアのことを書いておかなければならない。
このノートをここまで読めば、君のロシアへの復讐(ふくしゅう)の炎はいっそう高く燃えあがったであろう。しかし、知っておいてほしい。ロシアには、マリアやセリョージャのように、心から理解しあえる友がいることを。
わたしがモスクワから忽然(こつぜん)と姿を消して、マリアはしばらくの間、わたしの消息を知る手がかりを探しまわった。「わたしがジャブライロフさえ紹介しなければ……」と悔やんでいたと、セリョージャからあとで聞かされた。
マリアは、肝心のジャブライロフ兄弟に連絡を取ろうとしたが、キプロス島へ行っていて留守であった。兄弟は、キプロスに怪しげな銀行を設立していた。そこでは自分たちの金だけでなく、ロシアマフィアの汚れた財産のマネーロンダリングを一手に引き受けていたのだった。
実は、ジャブライロフ兄弟がひた隠しにする資金源とは、チェチェン戦争そのものだった。
チェチェンのためにロシア連邦が支払う復興予算から、かなりの額がジャブライロフ兄弟に流れていた。土木工事や食糧支援の金が、手つかずのまま兄弟の懐に入った。そのうえ兄弟は、その金で武装勢力を支援した。なにも独立運動に理解があってのことではない。道路や橋をどんどん破壊させて、さらに大金を手に入れるためだった。ロシアの政治家にも多額の賄賂(わいろ)を握らせた。
もちろんマリアはそのからくりに気づいていた。そして、ロシアとチェチェンとを結ぶ闇の癒着(ゆちゃく)を解き明かそうと、新たな取材をはじめていた。
新聞社の資料室は、あらゆる雑多なものであふれている。マリアとセリョージャは山積みされた箱のなかから、1999年の初秋にリャザンで起きたある事件の記録を探していた。
「セリョージャ、覚えてないかしら。あの事件では怪(あや)しい2人連れが拘束されたはずだけど、警察調書の写しがどこかにあったわよね?」
「ああ、あれか。不思議なできごとだった……」
しばらく膨大(ぼうだい)な紙束と格闘して、セリョージャがようやく1枚のコピーを見つけだした。
「マリア! あったよ。たぶん、これだよな?」
セリョージャが手渡した紙に、マリアは食い入っている。
「これよ! リャザンの署長からこっそり手に入れた……。あのとき謎(なぞ)だったことが、ようやく解明できそうなの」
「有力な手がかりでも?」
マリアはうなずいた。
リャンザンというのは、モスクワから160キロほど南東にある古都だった。森林と草原が混じりあう美しい土地に城塞(じょうさい)国家が築かれ、13世紀にはモンゴル帝国によって陥落(かんらく)させられた歴史もある。いまでは、モスクワとの交通網で結ばれた近代的な工業都市に生まれ変わっていた。
あれは、ロシアで黄金の秋と呼ばれる季節が到来したころだった。白樺林がみごとに色づき、雪がちらほら舞う寒い夜であった。
最初に異変に気づいたのは、工場労働者の集合アパートの住民だった。そのアパートの地下室に、怪しげな人間が潜んでいるのを見つけたのだ。
マリアは丁寧に記憶をたどっていった。
「たしか三人だったわね。キノコ狩りから帰ってきた老夫婦が、路上駐車していた車のナンバープレートに細工してあるのを不審に思った。それで、その車が停めてあったすぐ近くのアパートの入口から、地下へおりてみたの。そしたら、そこでなにかを仕掛けている3人組がいたわけね」
「そうだったね。老夫婦はすぐに警察に通報して、警官が駆けつけてきた。驚くべきことがわかったのは、それからだった」
「地下室から、黄色い粒状の粉が大量に見つかった。構造壁のまわりに、袋づめにしていくつも積んであった。それだけじゃない。その袋のなかには時限式の起爆装置がしこんであったのよ」
セリョージャの記憶も、頭のなかではっきり像を結んでいた。
「怪しい3人は、その袋に信管(しんかん)を刺しているところだった……」
警察が動いたときには、その3人は姿をくらましていた。爆発物処理班が現場に急行し、さらに、リャザン全域に非常線が張られた。
「それから2人だけが逮捕されたのだけれど、そのきっかけが、電話交換手による盗聴だった。警察の指示を受けた地元の電話局が、怪しい電話をすべてチェックしていたのよ」
「そうそう。モスクワへの長距離電話をかけた男の声で、『リャザンから逃げられない』と話したのを傍受(ぼうじゅ)した。電話交換手が調べると、なんと、モスクワの通話さきはFSB(フェーエスベー)だった。交換手の機転で、犯人は捕まった……」
マリアは、この謎めいたストーリーを正確になぞって話した。
「ところが、なのよ。警察の調べに2人は口を割らなかった。持てあました署長が元締めの内務省へ連絡した。すると、30分もしないうちに署長の卓上電話が鳴った。表示された番号は、政府専用回線が使われていることを示していた。その電話の主は、容疑者と直接話すことを要求した。署長は断ることができずに応じてしまった。そして、ふたたび電話のベルが鳴って、内務省の指示で2人の即時釈放が決まった……」
「おかしな話だったよな。あの年の9月には、モスクワや南部の地方で4件もアパート爆破テロが連続して、300人近く死んだんだよ。リャザンは5件目のテロになるはずだったのが、未然に阻止できた。それなのに、重要な容疑者を調べもしないで釈放している。いろいろ取材してみたけれど、容疑者だけじゃなく、証拠も跡かたなく消えていたんだ」
(つづく)
【写真】晩秋のモスクワ川の景色 ©mzabarovsky/PIXTA
