ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第41回 〝脱獄〟

 シャバルキンは、上着の内ポケットから1枚の葉書を取りだした。
 「これはいまから50年も前に、サハリンの日本人抑留者宛に送られてきた家族からの手紙です。当時、わたしは手紙の検閲(けんえつ)をしていましたが、なにかの手違いでこれを本人に渡せずにずっと持っていたのです。それが気になっていました。あなたが日本へ帰ったら、これを届けてもらえますか?」

 その黄ばんだ葉書は、ソビエトの俘虜(ふりょ)専用郵便であった。
 ラーゲリと呼ばれた収容所から抑留者が日本へ手紙を書き、それを読んだ家族が、手紙の半券の葉書を使って返信するようになっていた。わが家にも、カザフスタンの収容所にいた祖父から送られてきた俘虜郵便が大切にしまってあった。

 受信人欄には、
 CCCP(セ・セ・セ・エル)ラーゲリ70 13〜7 村野一布
 とある。発信元は、埼玉縣入間郡三ヶ島村××。

 その通信欄には、
 〝父上呉々(くれぐれ)も御身(おんみ)を大切に一日も早く復員(ふくいん)せられん事を御祈り致します〟
 とつづられている。おそらく息子から父への手紙であろう。

 それからシャバルキンは、没収されていたわたしのほんもののパスポート、携帯電話、所持金を返してくれた。携帯はSIM(シム)カードが抜かれて通話できなかった。さらに、東京のFSB(フェーエスベー)支局から接触があるときのコードネームを刻印した、極小のペンダントトップを握らされた。
 「それでは、明日の午前8時出発です。わたしは見送れませんので、これでお別れです。どうかお元気で。このペンダントは、日本大使館の人にはぜったいに見せてはいけません。これからはロシアのために貢献してください」
 そういって、握手の手をさし伸べた。

 独房に帰って、わたしはすぐに行動を起こした。看守が不在のすきを見て、ミリアムを探した。ちょうど洗濯物の袋を回収しているところだった。いま頼れるのは彼女だけだ。思いきって声をかけてみた。
 ミリアムはなにごとかという表情である。
 「じつは、明日、釈放されることになりました」
 「それはよかったじゃないの」
 「あなたに大事なお願いがあります。あなたと同じイスラムの信仰を持つ大切な友を救いたい。手助けしてもらえませんか」
 「どういうこと?」

 手短に、ノルベックが監禁されていることを説明した。ロシア兵の若い看守がミリアムに気があることに、わたしは前から気づいていた。ミリアムは1日おきに夜勤をしていて、この若い看守は、厨房(ちゅうぼう)に秘かに保管されているウォッカを持ってきてくれるようミリアムにねだっていた。
 「看守を酔わせて、腰につけている鍵を使ってノルベックの独房を開け、またこっそり鍵を戻してほしい。それから、ノルベックにはこの紙を……」

 わたしは、ノルベックへのメッセージを託した。
 〝どうか驚かないで読んでください。ぼくは日本人のミカドです。あなたの独房の斜め向かいにいます。午前四時三〇分になったら、あなたを助けにゆきます。時計はないでしょうから、それまで静かに待っていてほしい……〟

 看守が交替する時刻は、午前5時だ。それまでにすべてを成し遂げなければならなかった。
 まんじりともせずに一夜を明かした。神経は剣の切っさきのごとく研(と)ぎ澄(す)まされていた。新月なのか、天窓からは月明かりももれてこない。
 午前3時すぎ、夜勤の看守が手持ちぶさたになった様子で、奥の厨房へ入っていった。そこにはミリアムがいるはずだ。時計は早や、午前4時15分をまわっている。看守はまだ、酔いつぶれていないのだろうか。あと30分もすれば、早番の看守が交替にやってくる。

 そのとき、廊下を静かに渡る影が見えた。カチリという小さな音がして、その影はふたたび廊下を戻っていった。ミリアムであろうと信じた。
 午前4時30分ちょうどに、わたしは独房をでた。すり足で向かいの房に忍びより、金属のハンドルに手をかけた。そっと押しさげると、ドアは開いた。
 そこには、やつれはてたノルベックがいた。
 「君……。どうして?」

 わたしは口に指をあてるしぐさをした。さきに立って廊下を進んだ。厨房を通りすぎるときに、ステンレスのテーブルに突っ伏して眠っている看守を見た。ミリアムは厨房の外で待っていた。洗濯袋を山積みにした小型トラックが一台停車している。チェチェン人の運転手が、その大袋のなかにわたしたちを押しこんだ。その運転手はミリアムの恋人だった。
 ミリアムが助手席に乗りこむと、運転手はいつもどおりに基地のゲートの守衛に挨拶して、白みはじめた街へ走りだした。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

*リンク先
横村出(amazon.com著者ページ)
江末壬(amazon.com著者ページ)

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。著作権はすべて筆者に帰属します。© 2017 Izuru Yokomura