ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第38回 〝御門家〟

 そろそろシャバルキンとの食事の時刻も近く、わたしは急いでFSBの建物へ戻ろうとしていた。そのとき、対テロ統合本部の金色のプレートの下を横切った男が、すっと視界に入った。
 茶色の革ジャンパーの小柄な男。容貌(ようぼう)は中央アジア系……。
 わたしは、その男に見覚えがあるような気がした。

 シャバルキンは、将校専用の食堂でわたしを待っていた。
 アルミニウムを削りだしただけの簡素なテーブルに、木綿のクロスがかけてある。ナイフとフォークとスプーンが1本ずつ正確に1センチ間隔で並べてある。
 わたしは兵卒(へいそつ)に案内されてきた。兵卒はシャバルキンにさっと敬礼した。
 「将軍、連れてまいりました」
 「これは日本の友人、ここにおかけなさい」
 上機嫌でシャバルキンが手招きした。
 
「基地の見学はいかがでしたかな? なにかおもしろいものでも?」
 「教会がありました」
 シャバルキンが得意そうになった。
 「そうでしょう。ロシア人は信心深いのですよ。正教こそ、われら民族の魂でしてな。あなたは歴史に詳しいですか? このチェチェンでは、古い時代からロシア人がイスラム教徒と戦ってきましてね。カフカス山脈の北側だけはなんとかこうしてキリスト教の文明にとどまっているわけです」
 「これは宗教戦争だと?」
 「そうともいえます。文明と非文明の衝突といってもいい」

 大きく咳(せき)ばらいをして、兵卒を呼んだ。まもなく、テーブルの上には3皿の料理が並んだ。牛肉と野菜の煮込みのシチはうまそうな匂いを漂わせた。蕎麦(そば)の実を牛乳で柔らかく煮た熱々のカーシャから白い湯気があがった。
 もう何日も、ろくに食事もとっていなかった。空腹にうち勝つことはとても難しかった。ロシア人に酒はつきものだが、基地では禁じられている。シャバルキンも水を飲みながら、食事を胃袋へ流しこんだ。紅茶が運ばれてきたところで、煙草にゆっくり火をつけた。ちょっと顔を傾けている。

 「あなたとミカドの関係は?」
 「と、いいますと?」
 「ミカドという人物はご存じですかな?」
 「ええ、まあ」

 「わたしたちの同僚が、カザフから実に興味深い情報をもってきましてね……。あるチェチェン人が、ミカドについての国家公文書を持ちだしたというのです。もちろん極秘扱いの資料です。その人物がアジア系の若い男と一緒に行動していた、というのですよ。あなたのパスポートにもカザフの入国歴がありますね?」
 「たしかにそうです。ぼくは、自分の家族の来歴を調べにきたのです。祖父がソビエトに抑留されていたころの……」
 「それで、カザフへ」
 「祖父は軍医でした。命を救ったチェチェン人の家族がミカドと名乗っていると聞かされました。それを確かめるために資料を調べたのです。ぼくのパスポートの名前をよく見てもらえますか?」
 「ヒガシ、ミカド」
 シャバルキンは意外な顔をした。
 「ミカドとは、あなたの国では天皇のことでは?」
 「いいえ、ミカドというのは、ぼくの一族のことです」
 「ほう!」

 「150年ほど前に分家して、それぞれ東御門(ひがしみかど)と西御門(にしみかど)を名乗ったと聞いていますが、もとは御門という姓を戴(いただ)いておりました」
 「戴いた? というと、だれか日本の統治者からですか」
 「そうです。いまから400年前に、さるお方から」
 「ほう。で、あなたの一族はなにを生業(なりわい)にしているので?」
 「狂言師(きょうげんし)です」

 ここでシャバルキンはぽんと膝を叩いた。
 彼はソビエト時代に、東京のロシア大使館にあるKGB(カーゲーベー)支局に勤務していた。そのときに日本の伝統文化を多少なりとも知ったのである。このチェチェンではよほど退屈なのであろう、シャバルキンはわたしとの会話に興味津々(きょうみしんしん)の顔になった。
 「たしか能舞台を見たときに、御門流の狂言も演じられましたな。そういうことでしたか。あなたも狂言師なのですか?」
 「はい」
 「それがなぜ、こんなところまで?」
(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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