ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第35回 〝尋問〟

 その拘置(こうち)所の様子は、しだいにわかってきた。
 ここは、OMON(オモン)と呼ばれるロシア内務省の警察特殊部隊の基地だった。彼らはたいてい、FSB(フェーエスベー)や国防軍の特殊部隊スペツナズと一緒に行動している。そうやって捕らえた民間人を、この基地で尋問していた。

 ひとつの檻(おり)には4、5人が収容され、そうした獄屋が20ほど並ぶ。午前中に1人、午後にまた1人どこかへ連れてゆかれ、夕方には檻へ戻される。顔や頭は青黒く腫(は)れ、口は裂け、体中あざだらけにされていた。
 尋問とは名ばかりで、それは拷問であった。この檻のなかで朝方には冷たくなっていることもあるし、拷問されたきり帰ってこない者もいた。
 夜になれば空爆がはじまる。爆撃機の旋回音がして、地響きとともにコンクリートの檻ごと振動した。未明には、武装勢力のロケット砲が基地に撃ちこまれるのであろう、軍の消防隊のサイレンが鳴り響く。

拷問された跡がある遺体
【写真】ロシア軍に連行されたあと遺棄されたチェチェン人の若者。遺体には明らかな拷問の跡が刻まれていた。2004©Memorial

 わたしの尋問の番がくるまで、1週間はたっていただろうか。ある朝、檻の向こう側で兵士がわたしを指さした。 

「おい、おまえ! そこのカルムイク人。外へでろ!」 
ここで手錠をはめられたときに、所持品はすべて奪われていた。そのなかにジャブライロフが偽造したカルムイク共和国のパスポートがあった。

 長い廊下を歩かされ、別棟の個室に入れられた。そこでは、淡い灰色の軍服を着た尋問官が椅子に座って待っていた。
 「服をぜんぶ脱げ!」
 連行してきたふたりの兵士に、無理矢理に衣服を剥(は)がしとられた。それから、紺色のつなぎのような囚人服を着せられた。いきなり暴行されるのかと覚悟していたので、やや拍子ぬけだった。

 「そこへ座れ。これからおれが尋ねることだけに答えよ。それ以外の余計なことは一切、口にしてはならない。わかったな?」
 わたしはうなずくしかなかった。
 「おまえがベデノにいた目的から聞こう」
 「旅の途中です……」
 「旅行だと。チェチェンでバカンスか?」

 尋問官は、気味の悪い笑みを浮かべた。
 「ミカドを知っているな?」
 わたしは口ごもった。ミカドのことを話せば、アマン一家にまた禍(わざわい)が及ぶことになるだろう。だが、ベデノの村人たちはアミールやミカドのような武装勢力について話すのを拒んだために、拷問を受けている。いったい、どう答えたらよいのであろうか。
 「どうなんだ?」
 わたしの腹は決まった。口を割るわけにはいかない、と。
 「知りません」

 尋問官は不思議そうな顔をしている。
 「村人がいろんなことを話しているのだがな。まあいい。いずれ、おまえも話したくなるときがくるだろう。ところで、カルムイク出身なら仏教徒だろうが? なぜイスラム教徒の土地へわざわざきたのだ。それも、ベデノのような原理主義の支配するようなところへ?」
 「たしかに、ぼくは仏教徒です。ですが、仏教は、神もアッラーも仏もすべてをありがたく拝むのです」
 「それは感心なことだ。チェチェンが仏教国ならば、こんなひどいざまにならなかっただろうな……」
 「それは、あなたがたのロシア正教も同じではありませんか」
 「黙れ! 聞かれたことだけに答えろといったはずだ」
 「それで、ベデノではどの家にいたのだ?」
 「山で野宿を」
 「知り合いの名前をすべていいなさい」
 「ただの旅人ですので、知り合いはいません……」
 「この糞野郎! ××を嚙(か)みきってやろうか」
 「……」

 わたしは開き直った。わたしはテロリストでもないし、ロシアを攻撃しているわけでもない。なんの由縁(ゆえ)があって、この愚かしい軍人の尋問を受けなければならないのか。われを忘れて、怒りがこみあげた。煮えたぎるような目つきに気づいたか、尋問官は声音(こわね)を変えた。
 「見るところおまえはまだ若い。その無垢(むく)な体に傷をつけたくないのだがな。ムスリムの犬でないならば、手加減してもいいんだ。知っていることをすべて話せば楽になるぞ。すぐに釈放してやろう。故郷に帰れるんだよ」

 故郷、と聞いてわたしの心が揺れた。いまごろ、父と母や妹はどうしているか。いつものように鎌倉の家で静かな夕げを囲んでいるだろう。
 頑(かたく)なだった気持ちが萎(な)えてきた。わたしをここまで導いてきた運命の糸がほどけて、擦り切れてしまいそうな予感がした。このまま何日も尋問されれば、きっとわたしはミカドやアミールのことを話してしまうかもしれない、と怖れた。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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