ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第34回 〝獄のなかの人々〟

 車は、グロズヌイの幹線道を猛スピードで走っていた。路肩には、100メートルおきにブロックを積んだトーチカが築かれている。ひっきりなしに、ロシア兵を乗せた戦闘装甲車とすれ違った。しだいに路幅が狭くなり、コンクリートの擁壁(ようへき)がジグザグに並べられているところまできた。
 急ブレーキを踏んで、迷路のような道をのろのろと走らされた。擁壁の隙間から自動小銃を構えた兵士の顔が見えた。検問所で停車した。完全武装したロシア兵が、運転手のパスポートを調べている。車のなかをじろりと見まわしてから、「行け」というしぐさをした。

 そこからさきが、ロシア軍の駐屯(ちゅうとん)地だった。
 
◇◇

 このノートブックに記した物語を読めば、君はきっと、わたしのことをなんとまぬけなやつだろうとあきれるにちがいない。
 せっかくアミールに会ってミカドへの橋渡しを受けてもらったのに、それも無駄にした。おとなしくアマンの家に隠れて待っていればよいものを、まんまと敵の罠(わな)に落ちてしまった……。
 けれどもだれが、どんな理由で、わたしに敵対するというのだろう。わたしにとっていったいなにが敵なのか、このときは理解できなかった。

 「おりろ!」
 若いロシア兵がふたり、厳しい口調でわたしに命じた。
 だぶっとしたロシア軍の緑の戦闘服を着て、ぶ厚い防弾(ぼうだん)チョッキをつけている。胸には、OMON(オモン)というタグが縫ってあった。
 殺伐(さつばつ)とした空気が漂っている。ロシア兵に乱暴に背中を押され、わたしは灰色の建物のなかへ連行されていった。

 「ここはどこだ?」
 兵士は冷たい表情のまま返事をしない。プラスチックのタグつきの結束バンドで、うしろ手に縛りあげられた。バンドのタグには、きょうの日付と、〝ベデノから身柄確保〟と油性ペンで几帳面に書きつけている。まるで山狩りで捕獲された動物のように、淡々と処理されていった。

 人間の尊厳など、ここにはない。兵士は自らの人格すら徹底して否定される訓練によってのみ、殺戮器官(さつりくきかん)と化す。躊躇(ちゅうちょ)なく、人を殺すようになる。一見して愛想のよい兵士もいるが、それは特殊な任務を帯びているにすぎなかった。
 アマンの孫のマゴメドが撃たれたという、その瞬間を想った。銃を向けた兵士からはなんの感情も読みとれなかったにちがいない。わたしも覚悟しなければならなかった。

 かび臭くて暗い廊下を歩かされた。白い蛍光管がジリジリ鳴って、点(つ)いたり消えたりしている。腰のベルトの鍵束のなかからひとつ選び、兵士は鉄格子を開けた。動物園の檻(おり)そっくりで、天井まで格子がはまっていた。それが、数メートル間隔で廊下の奥まで並んでいる。
 獄のなかには先客が何人かいた。汗と脂のすえた臭いが漂うが、それはここにいる人がまだ生きている証しであった。
 どろんとした目が、わたしに向けられた。中世の古い油絵に描かれた奴隷のような、くたびれはてた絶望の色を浮かべている。

 「呼びだしがあるまで、待っていろ」
 重い靴音を響かせて、ふたりの兵士は去っていった。

 だれかがいった。
 「死体がまたひとつ増えた。どこからきた?」
 「ベデノ」
 もうひとりの男がふっと顔をあげた。
 「ベデノ……。アミールは助けにきたのか? おれは、あの攻撃があった日に捕まった。おまえはどうしていまごろここに?」
 「長老にいわれて渓谷へ逃げて命びろいしたのですが、それから、だれかの罠(わな)にはまってここへ連れてこられたようです。アミールの部隊は村に現れましたが、すでに遅かった」
 「そうか。長老はこの獄にいた。まっさきに拷問(ごうもん)されて、3日目に死んだ。だが、けっしてアミールのことは口を割らなかった。それから、おれたちが順番に拷問されている。たいていは10日ともたないが……。死体がいくつかまとまったら運びにくる」
 そうやって死体は、ベデノの墓地に捨てられていたのだった。

 ほかの男が、うすら笑いを浮かべている。
 「罠にはめられたって? それはたぶん、ロシアの金に目がくらんだ運び屋のしわざだ。金で買われたやつらが、ネタを売ったり誘拐(ゆうかい)したりする。おまえさんみたいのを生け捕りにして、死んだら死体をまた運ぶのさ。どうだ、いい商売だろ? 戦争ってのは、マネーになる」
 ルーブル札を勘定するように、その男は親指と人差し指をこすりあわせた。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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