ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第33回 〝罠〟

 ふと気づくと、アミールが墓地にひとり佇(たたず)んでいる。小さな墓標の前で、数珠(じゅず)の玉をひとつずつ繰りながら小さく祈りをつぶやいている。
 アミールはわたしに気づいた。カフカス訛(なま)りの混じらないロシア語で話した。
 「おまえは、だれだ?」
 「ぼくは、日本からきました」
 「ん? というと、われらの戦いに加わるためか。いまや、トルコ、アフガン、ヨルダン、ドイツ、ロシアからも義勇兵が集まっている。おまえも志願したいのか?」
 「そうではありません。ぼくはミカドを探しているのです」
 「ミカド……」

 アミールの表情がたちまち曇った。わたしはたじろいだ。
 「おまえは、なにを知っている? ミカドは、サタンの心臓を刺すためにわたしが大事に育てた戦士なのだ。ミカドは聖なる任務をはたして、チェチェンに戻っている。おまえは、ここまで追ってきたのか?」
 「モスクワの劇場事件のことですね……。ミカドを探しているのは、あのできごとが理由ではないのです。ミカドという名前は、ぼくの家族の姓でもあるのです」

 黒く大きな瞳がわずかに揺(ゆ)れた。アミールはわたしに興味を持った。
 それから、わたしの家族の歴史を話した。祖父と、父と、わたし自身のことである。御門家(みかどけ)の血筋がもう800年もつづいていることに、アミールは驚いた様子だった。祖父がアフマドの命を救ったことに感銘を受けていた。
 「よくわかった。チェチェンの民の命を救ったものなら、それが異国の人であれ、その恩義を忘れはしない。いまミカドがどこにいるのかは教えられないが、おまえがベデノにいると伝えておこう」

 金縛りのような緊張を解かれ、気持ちがゆるんだ。こんどこそ、ミカドに会えるかもしれない。アミールにひとつ尋ねてみた。
 「この小さなお墓は、だれの?」
 「これか……。わたしの姉と、7人の甥(おい)と姪(めい)たちだ」
 「そうだったんですか」
 「許せない……。愛する人を失う悲しみと苦しみを、同じようにロシア人にも舐(な)めさせねばならない。必ず、わからせてやる。人間は愚かだ。なにごとも経験しなければ、理解できないのだからな……」

 暗くなる前に、アミールの部隊は村を去った。山へ戻ってゆく男たちの数がいくらか減った。冬のあいだは村に残って、家族とすごすものがいるのだった。そのかわり、黒い衣装にすっぽりと身を包んだ村の女性が何人か、部隊のあとにつき従っていった。
 それからも、わたしはアマンの家に留まった。ここで待てば、まもなくミカドが姿を現すような気がしていた。

◇◇

 ある日の昼すぎのこと。ようやく瓦礫(がれき)が片づいた村の路地を歩いていた。馴染(なじ)みになった露店があって、そこへ行けばパンや水が調達できたのだ。

 狭い道に、ロシア製のラーダという小さな車が停車していた。その脇をすり抜けようとしたら、ウィンドウがすっとさがった。
 運転席にいた男に声をかけられた。
 「おまえさん、ミカドを探しているって?」
 わたしはとっさに、アミールの配下の者かと思った。
 「そうです。彼はいまどこに?」
 「会いたければ、一緒にこい」
 そういって、男はわたしを助手席に乗せるとすぐに走りだした。後部座席を振りかえると、屈強なふたり連れが座っていた。
 男たちは無言だった。車は、山へ向かうのではなく、どんどん道をくだって行くように思えた。渓谷の川の幅が広くなってなだらかな平地にでた。

 〝グロズヌイまで5キロ〟

 ロシア語の青い標識が、路傍(ろぼう)に立っているのを見た。
 グロズヌイはかつて、チェチェンでもっとも賑(にぎ)やかな街だった。それがロシア軍の手に落ちて、占領下に置かれていた。見渡すかぎり、すべてが破壊されている。かろうじて残ったアパート群は、建物の上の半分が崩れていた。兵士のほかは、人影をほとんど見かけなかった。どこかの銃撃戦だろう、自動小銃の連射音がとぎれとぎれに聞こえてくる。
 わたしは、運転している男に尋ねてみた。
 「おい、どこまで連れてゆくつもりだ? ミカドは山岳に隠れているんじゃないのか?」
 運転手はとぼけた口ぶりである。
 「待ち人が山にいるとはかぎりませんよ……」

 嵌(は)められた、と気づいたときにはもう遅かった。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。著作権はすべて筆者に帰属します。© 2017 Izuru Yokomura