ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第31回 〝虐殺〟

 わたしはひとりで、渓谷の岩場を歩きはじめた。

 アミールの部隊は、広大なカフカス山中を転々と移動しながら、ロシア軍を奇襲するのを得意にしていた。居場所はもちろん、部隊の構成や装備などいっさいは謎とされていた。
 それから、5、6時間も渓流をさかのぼっただろうか。アミールの部隊に遭遇することはなかったが、岩場の洞穴を見つけていた。ついさきほどまで火を使った跡が残っていた。灰や消し炭の量からみて、かなりの大人数がこの場所にいた様子がうかがえた。わたしは、その洞穴で一夜を明かすことにした。夜はかなり冷えこんだが、消し炭のぬくもりが残っていたのでなんとか耐えられた。

 気がかりなのは、バラエフ一家のことだった。アマンは、ミカドを捜してロシア兵がやってくるのを怖れていた。村の男たちがモスクで話していたことが本当ならば、ロシア軍はモスクワ劇場テロの報復のために、アミールの故郷であるベデノを徹底的に破壊するつもりだろう。FSBは実行犯のひとりのミカドを取り逃がしたこともつかんだかもしれない。ミカドの身元が割れるのは、時間の問題だった。
 わたしはバラエフの家に戻ることに決めた。

 つぎの日の昼までには、ベデノの村にたどりついた。村の様子がおかしいことは、遠くから見てもわかった。まるで山火事のあとのように、村のあちこちから煙が立ちのぼって燻(くすぶ)っていた。風に乗って異臭が漂ってきた。

 村はひどいありさまだった。やはり、ヘリの攻撃のあとでロシア軍がやってきて焼き討ちにしたのだ。
 モスクはまっ黒に焦げて崩落している。家々からは、家財道具が外に引きずりだされて燃やされた。兵士はそれで暖をとったという。家畜小屋にも火が放たれて、焼き殺された牛やロバの死骸が腐臭を放っている。
 わたしは、村から人影がほとんど消えているのに気づいた。みんなどこかに隠れて息を潜めているのだろうか。アマンや子どもたちが心配になった。

 村はずれの丘の上の家は、かろうじて無事だった。緑色に塗られたドアは開け放たれたままだ。戸口でアマンの名を呼んだが、返事がないのでそのまま家に入っていった。奥の暖炉の部屋のソファに、家族が身を寄せるようにして震えている。アマンと嫁と幼い女の子である。
 アマンはわたしに気づいた。力なくいった。
 「まあ、あなた……。助かったのね」
 「なんとか逃げのびました。みなさんは?」

 突然、長男の嫁の頬から大粒の涙がぽろぽろ落ちた。女の子は孫のザーレマであるが、喉をひきつらせてしゃくりあげている。
 「どうしたのです……」
 アマンが、黒いショールを羽織った背を丸めた。
 「マゴメドが……。マゴメドが殺されました」
 「ええっ……」

 マゴメドは、アマンの孫の男の子だった。
 わたしは、床にがっくりと膝をついていた。両手で髪の毛をつかんで、たまらずに嗚咽(おえつ)していた。アマンも声をあげて泣いた。
 マゴメドの小さな亡骸は、隣の寝室のベッドに寝かせてあった。頭に白いタオルが巻いてある。まるで眠っているように見える。この9月から小学校に入ったばかりだったから、真新しい青いズック靴と学童かばんがそろえて置いてあった。お絵かき帳も、机の上に開いたままだ。

 ロシア兵がこの家にやってきたのは、夕方だった。

 アマンたちはそれまで裏山に隠れていたが、集落のほうから銃声が聞こえなくなったので家に戻ってきた。村はまだ炎をあげて燃えていた。お腹をすかせた孫たちに食事を与えたら、すぐに山へ登って夜を明かすつもりでいた。マゴメドだけは、どうしても学校の勉強道具を持って行くといってきかなかった。
 そのときだった。撤収したと思っていたロシア兵が、突然、この家に乱入してきた。まだ20歳にも見えない男がふたり。新兵だったのか、熱に浮かされたような怯えた目つきをしていた。
 「女ばかりか?」と、その兵士が聞いたという。
 アマンはとっさにマゴメドを自分のうしろにかくまって、
 「女ばかりの家族です」
 と、答えた。

 だが、もうひとりの兵士が、男児が使うズック靴とかばんに気づいた。兵士は、マゴメドをアマンから無理やり引き離し、家の外の草地へひきずっていった。
 マゴメドは、我慢づよく泣かなかった。「そこにひざまずけ」と命じられても、嫌々をするように首を振っていたという。自動小銃のロックレバーをさげる音がカチッと鳴って、兵士は引き金に指をかけた。いとも簡単に、マゴメドの後頭部を撃ち抜いたのだ。
 「この村の男どもは、子どもまでテロリストだ!」
 という、捨てぜりふを吐いて。

 マゴメドは即死だった。アマンは一晩中、マゴメドを生き還らせてくれるようアッラーの神に祈りつづけたが、かなうはずもなかった。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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